
読んでいた本の中に、こんな言葉が出てきました。
「困っている人を助ける」を普段からちまちまやっておくのは、人のためではなくて、いざ自分が困ったときに誰かの助けを受け取るときの心理的ハードルを下げるためでもあるんですね。
大原扁理(著)著)『いま、台湾で隠居してます』p.40より引用
大原扁理さんの『いま、台湾で隠居してます』という本の中の一節です。
大原さんが台湾に移住する際、様々な困りごとに対して、ことあるごとに現地の方が手を貸してくれたそうです。
もともと台湾には「困っている人がいたら助ける」という文化が根付いているようで、現地で生活していると頻繁にそういうことが起こるのだとか。
日本ではなかなか体験することのない、あまりの優しさに気遅れしてしまうこともあったけど、それでも受け取ることができたのには理由があると言います。
それが、
「普段から人助けをしていたこと」
です。
大原さんは東京に住んでいる時から、元来の趣味である「物件探し」の延長で、日本に来ている外国の方の部屋探しをお手伝いされていたそうです。
ここで、冒頭の言葉へ繋がります。
そういった小さな親切を普段から分け与えていたからこそ、誰かの親切を気兼ねなく受け取ることができた、と。
僕はこれを見たとき、
「恩のすり替え」だな…と思いました。
そして同時に、めちゃくちゃ分かるなぁ…と。
人と関わるとどうしても「してもらったらしなくちゃいけない」みたいなのが働くから、
特に、頻繁に会うような関係じゃない方からの親切に後ろめたさを感じちゃうことってあるんですよね。
そんなとき、「恩のすり替え」が心理的ハードルを下げるというのは確かにあるなぁ…と。
で、これって逆の場合にも言えると思うんです。
つまり、誰かに何かを頼むときの後ろめたさも、「恩のすり替え」によって軽減できるんじゃないかと。
なにもしていないと、「自分だけ…」と思って躊躇っちゃう場面でもなんとなく思い切ることができる。
表面だけ見たら、何も変わってないんですけどね。ただ「AがBに頼み事をした」というだけなんですけど。
でも、僕のようなついつい考えすぎちゃう人にとっては、こういう本人の中での解釈みたいなものが結構大事だったりするんです。
と…そんなことを考えた一節でした。
同じような誰かの参考になっていれば幸いです。
以上、
人に頼るのが苦手な方は「恩のすり替え」をしてみるといいかも、というお話でした。
駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
↓この本についての感想も書いています。
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